戦う人文社会学

その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省:朝日新聞デジタル

文部科学省が文系学部の縮小を推し進めているそうです。日本の少子化が進む中で已む無しとの意見もありますが、心情的に反発されている方も多いようです。賛否が分かれる議題ですが、どちらの主張も何故かしっくりこないので、自分なりに思うところを書いてみたいと思います。

反対と賛成の二元論なの?

世の中は様々な分野のプロフェッショナル達が協業しながら仕事を進めています。大学を出たからといっていきなり特定分野の専門家になる人は少ないのですが、そうなるための下地は学生時代に形成しておきたいものです。もちろん出身学部だけの学問では足りません。理工学部の出身でも経費精算は必要ですし、法学部出身でもPCの基礎知識は求められるわけです。

この議論で一番槍玉に上がる文学部で身に付ける素養はどうでしょうか。単純に文章力という話であれば当然どの学部出身でも求められる素養ですが、文学や哲学で得られる知識に関しては、どうも理系学部と比べて実用性に乏しいと言われています。こうした実用主義が極まると、下記のような意見が出てくるわけです。

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教養科目が実践で役に立たないので、専門学校化してしまえということです。どうせ就職するのだから合理的だというわけです。

文系学部不要論には文学哲学が穀潰しだという含みがありますので、こうした大学改革論に多くの社会人が反対するわけです。私だって文学ファンで、人並みに読書後は感動したりするので、文学を軽視する発言をするような人とは口をききたくなくなります。

しかしながら、大学で自分の著書の購入を押し付けたり外の世界に関心を寄せない大学教授や、社会からのニーズを無視して自分の興味で授業料を浪費する研究員や、下記の記事のような顛末を見ると、やはり削減は已む無しという気もします。

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では国の方針に折れて人文学部の縮小に甘んじるのが正解なのでしょうか。私は人文社会学に実用性がないとは思いません。感情論に訴える反対派も、実用重視の賛成派も、私には間違っているように思います。単純な削減ではなく「戦える人文社会学」への再編成が採るべき選択肢なのではないかと私は考えます。

実務で感じる人文社会学の効用

自分は文学部出身ではないのですが、文学や社会学の書籍は好んで読んできました。今の仕事ではそこから得られたものが役に立っていると実感しています。3つ程、挙げてみましょう。

「ストーリーを作る」スキル

提案資料やレポーティングで効力を発揮します。

人間というものは事実を羅列されるよりもストーリーとして組み立てられた方が理解しやすいようにできています。提案資料でいくら事実を並べても説明される方は自分にどう関係するのか考えなくてはなりません。

私が提案資料を作成する際に意識しているのは、現状ユーザが置かれている状況を説明して読み手を提案資料の物語に巻き込むことです。小説の冒頭が風景の描写から入るのと同じです。現実の人間には少年漫画のような特殊能力はありませんが、提案資料で提示されるソリューションであれば手に取ることはできるわけです。引き合い頂いたクライアントを主人公に据えるというわけです。もっとも、大団円のハッピーエンドは経費削減とか世知辛いものではありますが。

こうしたストーリーを意識した資料作成で最も力が試されるのが予算獲得のための資料です。ある程度の会社であれば中長期の事業計画が作成されますが、その物語の枠組みの中で数年先のストーリーを示すことが大切です。プロジェクト体制図の一つをとっても顔写真やこれまでの経歴の概要を書き添えるだけでも効果は違うと思います。日本の経営者というものは、結局人柄をみて判断するものです。もちろん、事業計画としてリアリティがなければ読み物としては失格というのは同じですし、最近の漫画と同じで整合性について外野から野次が飛んでくる事は当たり前なので、そういう基本的なとことろをしっかりするのが前提ではありますが。

あとは、レポーティングですね。作業報告書の一つをみても、やはりストーリーを意識することは大切だと思います。何かしら製品の不具合が発生してベンダーを呼んで修正させたものでも、電話の遣り取りの時間を分単位で記載したりして臨場感を出すと効果が高いです。よく技師の方でせっかく技術があるのに、どうせクライアントには分からないだろうと説明を端折ったりする方がいますが、随分と損していると思います。専門家にしか分からない単語でも、ラノベに出てくる何かの秘宝みたいなノリで書けば、クライアントにはエンジニアリングの貢献度が伝わるものです。でも小説とは違うので嘘は駄目ですよ。

「何故かを示す」スキル

プロジェクト管理で効力を発揮します。

大規模なプロジェクトになると、メンバー間の認識違いが進捗を阻害する大きな要因となります。またプロジェクトの成果物についても、数チームのものを寄せ集めてみると整合性がとれなくなっている場合があります。このようなロスを最小限に留めるにはプロジェクトマネージャーがコミュニケーション戦略を展開することが定石ですが、プロジェクトには何故かを示すことが求められると思います。

哲学のように人生の何故まで示す必要はありませんが、この仕事は何故あるのかという問いにはプロジェクト管理部門のスタッフは回答できなくてはなりません。仕事ですので何故の理由は事業計画を参照する事になりますが、こうしたロジックを積み上げる訓練は哲学書の読書で培われるものだと思います。

仕事は進めて欲しいのに末端がなかなか手を動かしてくれないとお悩みのリーダーは、仕事を進めるように叱咤するよりも、何故この作業を依頼したのか理解しているか確認する方がよいと思います。案外、方向性が曖昧な故に手が止まっていたり、理解せずに求められていない事をしようとしていたりするものです。

「他者の立場に立つ」スキル

データ分析で効力を発揮します。

最近はデータサイエンティスト等の職業が認識され始め分析のテクニカルな側面について解説する著書も増えています。しかし、実際のデータ分析の現場に参加すると一番求められるのが仮説構築力です。そのためには自分本位ではなく他の立場の人間はどのように考えるのかという視点が重要となります。分析対象が純粋な理系分野であれば必要はないスキルなのかも知れませんが、世の中そうはできていません。なぜなら売上を上げるには人の心を動かさなくてはならないからで、データ分析の投資も自然とそこに向うからです。

小説では自分の考え方とは異なる人間が数多く登場して軋轢を生みますが、まずそれが当たり前ということを考えなくてはなりませんし、できればその他人がどう思ってどう行動したのかを考えられるようになりたいものです。そういう思考訓練がないと、データを集計したところで売上に繋がるような提案はできないと思います。小説のような登場人物一覧は不要ですが、ペルソナがなくてはデータ分析も徒労に終わるでしょうから。

小説ではなくても社会学の書籍で自分とは異なる環境にいる人間の存在について考える機会を得るということも大切だと思います。どうしても職場では自分と似通った属性の人間が集まるものですが、ユーザや業者までの幅で考えると、違う属性の人間に対して理解がないというのはどこかで無理がでてくると思います。

 

こうしたスキルは自己啓発本ではなく文学書や哲学書の読書を積み重ねた事で得られたものだと思っています。人文社会学部の廃止を先導する文部科学省や見識者の方々にとっても必要のないものとは思えないのですが・・・。

 

 

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