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「白」だった時代

ませた子供だったと思います。

小学校の低学年から、稚拙なプログラミングをしてみたり、夜の繁華街を歩いたり、麻雀を覚えたりと、なんとも可愛げのない子供でした。

もちろん漫画も読みました。それでも手にとるのは子供に相応しくないものでした。その中には麻雀漫画もありました。現代麻雀というタイトルの雑誌で、いくつかの種類があって今はどう統廃合されたのかはよく知らないのですが、確か読んでいたのは別冊現代麻雀だったと思います。「別冊」という言葉の響きにアングラ的なものを感じていたのでしょうね。長期連載で有名な福本氏のアカギも子供の頃からやっていたような気がします。

その雑誌の中で連載していた「白」という漫画に、私は引き込まれていました。現代麻雀は当然麻雀自体をテーマとした漫画が大多数を占めるわけですが、申し訳の程度に麻雀のシーンを入れてあとは作者が表現したいことを好き勝手に描くことができる雑誌でもありました。「白」は、暴力ありエロありの雑誌の中にあって、本来の読者層にはかすりもしない孤高のジュブナイル漫画であったと思います。当時大人だった人達に「白」がどのような読まれ方をしたのかは分かりませんが、渋沢さつき氏の果敢な取り組みは、確かに私の心に届いたのです。

 

主人公の「白」は、自分の才覚を活かす術も分からないまま漫然とした日々を苛つきながら過す潔癖な青年でした。ふとしたきっかけから麻雀に目覚め、少し早熟な彼は大人の世界に足を踏み入れてゆきます。麻雀を軸としながらも青年が穢れた大人の世界と折り合いを付けてゆく過程は見事な成長物語であったと記憶しています。物語の王道に漏れず、彼には巨大な壁としてのライバルが立ちふさがります。その男の名は十字猛夫。恥ずかしながら告白しますが、彼こそが少年時代の私にとって目指すべき大人の男性像でありました。案外、今社会で活躍している大人達の心の中には、子供の頃の漫画で出会ったヒーロー達が生き続けているものなのです。十字の胸を借りながら、やがて彼は自分が何者かを知るようになります。この続きは、実際の漫画を手にとっていただければと思います。

 

今こうして「白」のことを思い出すのは、最近手に取る小説に少年の物語が多かったからかも知れません。悲しいことに、大人になるとそうした文学から本来得られるべき感動は薄くならざるを得ません。「ライ麦畑でつかまえて」を十代のうちに読んでおかなかったのは私の個人的な読書体験にとって手痛い損失でしたし、逆に「罪と罰」を十代のうちに読んでおけたのは幸運だったと思います。もちろん「白」も幸運な体験だったと思います。もしかすると今読み返しても子供の頃のような大きな感動はないのかも知れません。まだ読んでないのですが「白」にも次世代の続編があるそうですから、余暇があれば読んでみたいと思います。